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血の病気 [医療]

実に久々の記事ですー。
あちこちで別ブログをやってますが。

最近、目にしたこの記事に、深く頷いてしまいました。

私の母も、

食べすぎ、飲みすぎ

肥満

糖尿病

脳梗塞

寝たきり、死亡

となったと確信しているからです。

私は医療費ゼロを目指してます。
今のところ、股関節が痛いのと、少し花粉症気味なくらいで、病院にも3年以上、行ってません。


2009-03-08 07:23  nice!(2)  コメント(0) 

一周忌 [家族]

今日、9月22日は母の命日です。
1年たちました、しんみりすごしたいと思います。

去年は上天気でした。
今年は大雨ですねー。

あの日のちょうど今頃8時半過ぎ。
病院から至急来てくれと電話があり。
地下鉄の中で、今日が母の命日になるかも、とふと思ったのでした。

お母さん。
私もトラも元気だよ、安心してね。

それにしても久々にブログを書こうと思ったら、ログインの仕方も忘れてました。(汗)


2008-09-22 08:37  nice!(0)  コメント(0) 

夢の中で父は [家族]

朝方は雪も舞う、寒い1日となりましたね。

明け方、夢をみました。
誰かの葬儀に出て、そそくさと帰宅して気づくのです。
あ、ちゃんと最後までいなくてはならなかったのだ。
やばー、と引き返そうとすると。

父が向こうに立っていました。
うっそうとした森に続く道の真ん中、でしょうか。
杖を突いてるのを見て、ああ、お父さんも年をとったなー、なんて。
父はねずみ年、今年で84になるのです。

なんだかお説教をされたような気がします。
わかったら、もう戻らせてよ、と言おうとして目が覚めました。

父は杖をついたことなどありません。
それにもう、8年前になくなっているのだから。
4月2日、粉雪が舞う寒い朝のことでした。


2008-01-23 16:41  nice!(0)  コメント(1) 

信じたくない [家族]

別ブログはチョコチョコ更新しているのに、こちらはどうにも気が進みません。
気づけば今日は1月21日、母の誕生日です。

82年前の今日、北方領土の樺太にて母は生まれました。
30歳で亡くなったという母の母はどんな人だったのか?
どんな思いで出産を迎えたのだろう、などと布団の中でぼんやり。

12月になってからもたもた欠礼はがきを出し、母の友人たちから電話やお香典が。
電話を下さった母の昔の同僚は、私にとっても懐かしい方です。
りんごを送ってくれ、電話もくださいました。

「信じたくない」と、昔と変わらない、ふわっと優しい声でその方はいいました。
「あなたのお母さんは元気でいると思うことにする」と。

私もそんな感じなのです。
壁の母の写真、2年前の誕生日にデイサービスで撮ったものですが、いつも話しかけています。
母はいい笑顔でこっちを見ています。
死んだなんて、まだ実感がないのです。


2008-01-21 11:16  nice!(0)  コメント(0) 

終わっていく [家族]

11月になってしまいました。
3日に納骨、母は父のお骨と一緒になりました。
ほっとして気が抜けて、またまたぼーっとしています。

先月は、病院の支払いに行ったり、区役所に身障手帳を返しに行ったり。
いろいろと終わっていくのです。

もう2度と、この病院に来ることもないんだな。
もう2度と、このカウンターを訪れることもないんだな。
そう思うたびに、じわっときてしまうのでした。



2007-11-07 16:05  nice!(0)  コメント(2) 

弟の参列を断りました [家族]

母が亡くなった先月22日の夜。
妹一家が斎場に来てくれ、葬儀の打ち合わせをしました。
サラ金のことで両親を悲しませた弟に知らせる気は毛頭なかったのですが、義弟の勧めで電話。
留守電で声を聞かずに済んでホッ。

夜、帰宅すると弟から留守電にメッセージが。
また電話するとのことで、こちらからはする気がないので放置。

と、24日の朝6時頃、電話で起こされました。
弟からでした、母の葬儀に参列したいというのです。
「××です」と、挨拶もなしに「出たいんだけど」と暗い声。
起こされたのも腹がたつし、「いいよ、来なくて」。
「場所だけでも」には、「聞いてどうするの?」

また借金して飛行機で駆けつける気だったのでしょうか。
母がまだ妹宅にいたころ、弟の借金取りから母を出せ、と電話があったのです。
「ぶっ殺してやる」と言ったそうです。その日、妹はパートを休み、甥を小学校まで迎えに行きました。
そのとき、義弟が絶縁するとの電話をしたのですが。

「静かにお母さんを思ってあげるだけでいいんじゃないの」と私は言い、電話を切りました。
布団に戻ってもあれやこれや思い出して腹が立って腹が立って。

と、今度は妹から電話が。妹にも弟から電話があったそうです。
私が冷たいので今度はあっちにかい。
「ごめん、の一言もないんだよ」「順序が違う」「会いたくないよね」
「もう一度電話があったら考えるか」と意見が一致して、少しは気が晴れてまた布団に戻りました。

以降、電話はなく、翌日。無事に母を見送りました。
花に囲まれた母を見て、やっと気持ちが落ち着いてきて、弟を拒絶した私は冷たいのか?
しかし、弟の借金癖で両親がどれほど苦しんだか。
それを思うと、来てもいいよ、とはいえませんでした。

父の葬儀のとき、あまりにお金がない家で仰天しました。
私の口座から一時、立て替えたほどです、次の年金振込みがないとどうにもならない状態でした。
それもすべて、10年も前から弟一家の借金を尻拭いしてきた結果です。

父の簡易保険が降りたとき、弟の200万の借金をそれで清算しました。
「お父さんの命と引き換えにもらったお金だよ」と再起を願っていたのですが。
義弟が念のために、と法務局で実家の登記簿を調べてくれたのですが、銀行の担保になっていました。
もちろん、弟の借金のためです。

父の葬儀が終わって帰宅したとたん、「今日中に50万必要」と弟から借金の申し込み。
清算分のほかに、まだあったのですね。もうあきれてしまって。当然、断りました。

その後、実家を売却したとき、弟の借金の分が差し引かれ、心もとない母の老後資金がますます減りました。
そして弟は月々の(実家担保の)借金は払わないでいいと思ったのでしょうね、一銭もこちらには入れてません。
いったい総額でどれくらい両親から毟り取ったのか?

そうそう。
父の死後、弟が実家のカップボードとか、持っていっていいかと聞くのでいいよと応えました。
母を迎えに実家に戻ったとき、洗濯機までなくなっていました。
私は母のおしっこ臭いタオルケットを手洗い、脱水できなかったので完全に乾くまで3日かかりました。

母の葬儀から1週間たちますが、弟からはそれっきり、なしのつぶてです。

父の最期の言葉を思い出します。
「あいつは当てにならない男だ。全く当てにならない。」

父よ、あなたは正しかった。


2007-10-03 20:41  nice!(0)  コメント(4) 

初七日 [家族]

もう1週間たってしまったんですねー。
いつまでもボーっとしてられないんですが。

続きを読む


2007-09-29 09:26  nice!(0)  コメント(0) 

母の葬儀を終えて [家族]

25日、内輪だけで母の葬儀を執り行いました。
徒歩1分(?)の、ごく近くの斎場、そこが斎場であることも今まで知りませんでした。
関係ないと思うと「××式典」の看板も目に入らないのですね。

つつましい祭壇の左右に白やピンク、紫の花かご。
花が大好きだった母にはぴったりです。
生きているうちに、もっとたくさんのお花を見せてあげたかったけど。

棺には、入院中、ずっと一緒だったトラ妹(足先が白い猫のぬいぐるみ)を。オレンジの首輪は外して持ち帰りました。母がトラのために買ってくれた首輪だから。トラはにおいを嗅いだりなめたりしてました。
それと、青森から転居するとき、母が「これは持っていく」と言った父のガウンを入れました。

花かごの花をたくさん、母の棺に入れて、もともと美人だった母は本当にきれいでした。
きっと満足してくれたのではないでしょうか。

遺骨は妹宅にお願いしました、11月3日の四十九日に納骨します。


2007-09-27 18:32  nice!(0)  コメント(1) 

永眠いたしました。 [家族]

本日、午前9時44分、母が永眠いたしました。

今朝になって状態が急変、9時半頃に電話で知らされ、すぐに病院に向かいましたが、間に合いませんでした。
安らかな死に顔でした。
看護婦さんがきれいにお化粧してくださって感謝しています。
改めて美しいひとだったのだと認識しました。

きれいな母と、かわいい妹。
なのに私だけ、どうして?
そんな昔話はどうでもいいのですが。

81年間、お疲れ様。
特にこの1年は寝たきりになり、どんどん悪化していったから。
本当に大変だったと思います。

お母さんの大事なトラは、私が最後まで面倒みるからね。


2007-09-22 20:04  nice!(0)  コメント(2) 

がくん、がくんと

今月に入り、母の容態が悪化しています。
月初めに下血しました、去年の11月と同じケースらしいです、3日に分けて1,200CCも輸血しました。

と、今度は真夜中に吐き、肺に吐いた物が入って肺炎を起こしかけました。

その3日後、正確には2日前ですが、また呼ばれました、明け方、痙攣を起こし高熱がでたそうです。
私が行ったときは熱は下がってましたが、酸素吸入を受け、苦しそうなうめき声も。

階段を下りるようにがくん、がくんと悪くなっていくことは覚悟してくれといわれました。先月まではなんとなく元気そうに見えたのですが、季節の変わり目のせいか?
道で倒れてから約1年、心の準備が必要なのかもしれません。


2007-09-20 12:34  nice!(0)  コメント(0) 

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